夢見た絵の中に私は今いる≪十月十三日≫ ―壱―シュラフに潜り込まず、白いシーツに包まって、南京虫の心配なくぐっすり眠れたのは、石垣島以来のことかも知れない。 バスの長旅でぐっすり熟睡できたのか、目を覚ますと太陽はもう天空にあった。 荷物をまとめて、一階のレストランで昼食を取った後、一泊だけの宿を出る。 インドで一度、高級ホテルに泊まろうと考えていたが、果たす事は出来なかった。 その余裕がインドではなかったと言う事だ。 Ertan・ホテルは、今泊まっていた宿の目と鼻の先ある。 エーゲ海を見渡すように建っている。 こんな小さな漁村にしては、えらく似合わないほど立派なホテルに見える。 例え、日本で見かけたとしても、十分一流ホテルとして、通用するかもしれないほどのホテルに見える。 しかし、値段は三流波だから、こんなにうれしい事はないのだ。 安宿から高級ホテルに移る。 このホテルの客にしては、ずいぶんと不釣合いな客が入っていく。 鍵を受け取る。 部屋は3階で211号室。 3階なのに211号室・・・・・・? 安い部屋を要望した為か、部屋が塞がってしまっているのか、ここからは海が見えない。 残念ではあるが、外へ出ればいつでもエーゲ海は見えるのだから、こだわりはない。 部屋にはシングルベッドが二つ。 ベッドの上には、白いシーツといかにもふっくらとした、寅の毛のような毛布が清潔そうにたたまれている。 鏡台に机。 テーブルにイス。 造り付けの家具に清潔そうなシャワールームにトイレ・・・そして、エーゲ海の見えない窓が一つ。 日本だと何万円も取られそうな大きな部屋だ。 荷物をテーブルに置き、早速シャワーを浴びる事にする。 バッグから荷物を全て出し、外の空気を吸わせる事にした。 ベッドは柔らかで、弾力があり、子供のようにベッドの上で、飛び跳ねたい気分にさせられる。 この気持ち・・・・分かるかな。 * シャワーを浴びて、旅の垢を削ぎ落とし、日本への便りをかなりのんびりと書き溜めた後、外へ出ることのした。 快晴以外存在しない様な陽ざしが、今日ははっきりとくっきりと”CHIOS島”を照らしている。 エーゲ海に浮かんでいる”CHIOS島”が、これほどはっきりと見えるとは感激だ。 かなり大きな島だ。 白い小船が、時々エーゲ海に白い波筋を引いて往来している姿が見える。 ホテルの前にあるカフェテラスに腰を沈めて、足元の海を覗き込む。 キラキラと輝く海。 港町に似合わず、透き通る海。 小さな小魚たちが、群れをなしてうごめく様が手に取るように分るのだ。 数人の子供達が、パンを餌にして釣り糸をたらして遊んでいる。 それを見て、レストランで働く男だろうか、何やらブツブツ言いながら、大きなパンをそのまま針に突き刺し、勢いよく海に投げ込む。 鯨でも釣るつもりだろうか。 そんなしぐさを何度も繰り返すが、魚は釣れそうもない。 バスの中で購入した、ビスケットを一枚足元の海に投げ込む。 固すぎるのか、魚達は寄って来るだけでつつこうとはしない。 ビスケットを口の中で、柔らかくして海に投げ込むと、なんと今度はピラニアのごとく、何処にこれだけの小魚たちが居たのかと思うほど、集まってきて水しぶきをあげ出した。 本当に、ピラニアのごとくだ。 そんな一日が、長くて苦しかったアジア大陸縦断の旅が終った事を、無我夢中だった旅の終わりを告げていたのかも知れない。 村はあくまでも静かで、人はあくまでも素朴で、旅人の疲れを癒してくれる。 時折、何処に学校があるのかと思うほど、女学生たちが目の前の広場を通り過ぎていく。 それ以外、若い女性の姿はほとんど見かけないのだ。 若い日本人旅行者が、この村に滞在して、すぐCHIOS島へ渡っていった。 彼らとは、二言三言挨拶程度の言葉を交わしただけである。 * 夕食を取って、エーゲ海を眺める。 夕日がエーゲ海に落ちていく。 夕焼けが、空と言わず、海と言わず、村全体を真っ赤に染めていく。 私が今見ている全てを、日本で居る時、どれほど夢見た事か。 今現実にそんな夢のような景色の中に溶け込んでいる。 どの村にも見られる夕方の活気さえ、夕日の中に埋もれている。 私が訪れようが、誰が訪れようが、この静寂さとこの景色は限りなく続いていくことだろう。 そして、必ず闇が訪れる。 白いシーツに、柔らかな毛布。 一晩だけ!一晩だけ! ゴール前に、一晩だけ、許されたし! |